日本で初めておもちゃでオナニーをした女性

オナニー
男性はAVの話が好きです。
AVを観るということは、100%オナニーをしているということです。
男同士でオナニーについて語ることには一切恥じらいがありません。
しかし女性同士の場合、オナニーについて語り合うことはほとんどないでしょう。
女子会
女性同士のエロ会話といえば
「昨日、彼氏に3回もイカされちゃった」
「わたしは彼氏にいっぱい潮吹かされた」
「彼氏のチンコ大きすぎてヤバい」

など、
相手ありきの話が多いです。
もはやエロ会話ではなく、ただのマウンティング合戦ともいえます。
そこで
「わたしは電マオナニーで10回もイッたよ~」
と自虐でマウントを取られにいく女子は誰もいません。
しかし、そんな彼氏自慢をしていた女性も、ひとりでムラムラしてしまったときは確実にオナニーをしています。

大人のおもちゃの歴史

先日、体験談を書かせていただいた美女からLINEがきました。
「恥ずかしかったんですけどチラッとだけ読みました笑
自分のじゃオカズにならないと思っていたのですが・・・」

どうやら興奮してオマ○コ濡れ濡れになってしまったようです。
(ふぅ・・・)
それを聞いて私もオナニーをしました。
その方はローターが好きだそうです。
近年は、ネット通販が普及したおかげで、おもちゃを買う女性が増えました。
ローター、電マ、バイブ、クリトリス吸引器・・・
色んな種類のおもちゃが販売されています。
さて、この大人のおもちゃはいつから日本にあると思いますか?
調べてびっくり!
なんと!
奈良時代からあるのです!
江戸時代に舐め犬がいたことは、春画を通して確認できました。
関連記事:春画に見る江戸時代の舐め犬
女性がおもちゃを使ってオナニーしている春画も残されています。

女性オナニー春画
西川祐信「艶女色時雨」

奈良時代は江戸時代よりも1,000年も昔の話です。
日本の歴史
(古代から大人のおもちゃがあったとは・・・)

水牛の角をオマ○コに?!

みなさん「遣唐使」という名前は聞いたことがあると思います。
遣唐使の目的は、当時文明が発展していた唐(現在の中国)の文化や政治の制度、書物や物品を日本に持ち帰ってくることです。
まだ日本にはなかった楽器や武器、繊維や織物などの品物が輸入されました。
そこで、あるドスケベ遣唐使がとんでもないものを唐から持ち帰ってきたのです!
それが大人のおもちゃです!
唐から輸入した大人のおもちゃは、
水牛の角でした。
水牛
水牛の角は中が空洞で、その中にお湯をつけた綿を入れると、チンチンと同じくらいの硬さになったのだといいます。
硬そうに見えますが、意外と柔らかかったのですね。
ドスケベ遣唐使は帰りの船の中で興奮したことでしょう
「うひょー!これさえあれば日本に帰ったら俺は毎日女をイカせまくりやん!」
吉岡秀隆主演の
『古代史ドラマスペシャル 大仏開眼(かいげん) 』
に玄昉(げんぼう)という僧侶が出てきます。
こいつがまさにドスケベ遣唐使です。
玄昉は女と金と酒が大好き。
日本に帰ってきてからは、ハーレムを作って遊んでいました。
玄昉
「あああん!玄昉様!もっと!もっと!」
NHKなのでコンプライアンス的に出てきませんが、玄昉が水牛の角をオマ○コに挿れて女性をイカせまくっていたのは間違いありません。

日本で初めておもちゃでオナニーをした女性

奈良の大仏は奈良時代に完成しました。
これを作ったのは聖武天皇です。
その聖武天皇のひとり娘が
【孝謙(こうけん)天皇】です。
石原さとみ 孝謙天皇
この美女が日本で初めておもちゃを使ってオナニーをした女性なのです!
孝謙天皇は
自分に逆らった人間に対して、酷いあだ名を付けて強制的に改名させる
という、きついの性格の持ち主でした。
石原さとみ 孝謙天皇
皇后ではなく天皇です。
最強のマウンティング女子といってもいいでしょう。
(まぁこんな美女なら、たとえゴミと呼ばれても喜んでオマ○コ舐めますけどね♪)

孝謙天皇のセフレ

孝謙天皇は独身で天皇に即位しました。
“女性天皇は生涯独身を貫く”
というルールがあったので結婚できなかったのです。
石原さとみ 孝謙天皇
ただ、独身で欲求不満だったからオナニーにハマったというわけではありません。
孝謙天皇には僧侶の道鏡(どうきょう)というセフレがいました。
道鏡
この道鏡、ただのいかついハゲではありません。
チンチンがあり得ないほどデカいハゲなのです!
こんな川柳が残されています。
「道鏡は 座るとひざが 三つでき」
これは
あぐらをかいたとき、チンチンが大きすぎてひざが3つあるように見える!
という意味です。
道鏡はただチンチンがデカかっただけの男ではなく、孝謙天皇が病気になったとき、ずっとそばで看病をしていたという優男でもあったのです。
孝謙天皇は優しさと巨根を持ち合わせた、道鏡にメロメロになってしまいます。
石原さとみ 孝謙天皇

道鏡に会えない日はムラムラ・・・

こんな川柳も残されています。
「道鏡に 根まで入れろと 詔(みことのり)」
“詔”は命令という意味です。
孝謙天皇「もっと奥まで挿れなさい」と道鏡に上から目線で言っていたのでしょう。
(たまりませんな・・・)
石原さとみ 孝謙天皇
こうして孝謙天皇の性欲を満たし続けた道鏡は、めちゃめちゃ出世しました。
しかし、天皇という仕事柄、道鏡に会えない日もあったようです。
そんな日は、ひとりムラムラした夜を過ごしていました。
「道鏡くん・・・今日は会えないの?もうこんなにオマ○コグチョグチョだよ、わたし我慢できない・・・」
道鏡にそうLINEを送ると、こう返信がきます。
「なに言っ天皇・・・今日は飲み会があるって言ったじゃん。わかった!今度に孝謙ちゃんに”いいもの”持っていってあげる!それをアソコに挿れたらきっと気持ちいいよ!」
そこで道鏡が孝謙天皇に持っていったのが、山芋だったのです!
山芋
「や、山芋?!」
石原さとみ 孝謙天皇
と言いながら、
孝謙天皇は山芋のヌルヌル感にハマってしまいました。

孝謙天皇、オナニーがバレる

道鏡に会えない日は毎日オナニーをする孝謙天皇。
「あああん・・・気持ちいい・・・」
山芋のヌルヌルと愛液のヌルヌルの相乗効果で2倍気持ちいいです。
(あん・・・またイッちゃいそう・・・)
その時でした!
「あっ!」
なんと、山芋が中で折れてしまったのです!
(どうしよう・・・)
オマ○コから山芋が取れなくなってしまいました!
抜けなくなって数日が経ったある日、孝謙天皇の前にひとりの尼が現れます。
尼
尼が山芋の詰まったオマ○コを見て一言
「あーあ、何やっ天皇・・・」
尼は木で割り箸を作り、挟んで山芋を取り出します。
こうして孝謙天皇は無事、一命をとりとめたのです。

オナニーの記録が残ってしまった孝謙天皇

孝謙天皇以前にもおもちゃでオナニーをしていた女性は絶対にいたはずです。
ただ、オナニーをしたという記録が残っている人物が他にいないのでしょう。
こんなに恥ずかしい記録が残ってしまったのは、
他の女子に変なあだ名を付けたりして、マウンティングしまくっていたことが原因かもしれません。
山芋オナニーがバレてしまったとき、きっと世間は”祭り”になっていたことでしょう。
「あの子、偉そうにして山芋でオナニーしてたんだってwww」
「まじうけるwwwTwitterで拡散しとくわwww」

そして、孝謙天皇がオナニーをした事実は日本紀略や古事談で拡散され、現代まで語り継がれることとなりました。
石原さとみ 孝謙天皇
ただ孝謙天皇も、オナニーでもしないとやってられないほどの、プレッシャーがあったに違いありません。
女性天皇です。庶民には考えられないほどのストレスがあったことでしょう。
現代の日本はストレス社会といわれています。
ストレスを解消するにはオナニーが一番。
オナニーは昔から女性に必要不可欠なものだったのです。
P.S.
最近、石原さ○みとSH○WR○○Mの前○社長が破局したそうです。
きっと今、石原さ○みは毎日のようにオナニーしているでしょう・・・
(ゴクリ・・・)

参考文献
下川耿史(2016)『エロティック日本史』幻冬舎新書